對象OS:Devuan GNU+Linux Beowulf 3.1
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sans-serif
:Noto Sans CJK JP, 源暎エムゴ (GenEi M Gothic), ChicagoFLF
serif
:Noto Serif CJK JP, 源暎ちくご明朝 (GenEi Chikugo Mincho)
monospace
:Migu 1M, Hack
Windowsユーザだつた頃は、アイコン型のランチャやデフォルトのファイラ(エクスプローラー)を使つてゐた時期があつた。經驗から言ふと、綺麗なアイコンなんか使つてゐると、遊んでしまふ(意味も無く表示させる、ボタンを押す、眺めるなど)。動きに無駄が出る。これがキーボードショートカットだつたらなんて事ははない、必要になつた時に押すだけだ。面白くも何ともない(ランチャの機能はショートカット、仕事の早道を提供する事である)。
WindowsではAutoHotkey、PureOSではシェルスクリプト+i3が主なショートカットであり、それ以外は單純なメニューの檢索(デスクトップ環境の機能やdmenuのやうな小型のソフトウェア)で補完してゐる。實際のところ、dmenuの機能そのものが私の望むランチャの機能であつて、これ以上も以下も無い。
これはPresto Opera(プロプライエタリWebブラウザ。z(履歷を戾る)、x(履歷を進む)などシングルキーが設定できた)、あふw(Windows向けのプロプライエタリ2畫面ファイラ。TUIのやうなGUI。お蔭でrangerも違和感が無かつた)から學んだ事だ。
私のキーボードは修飾キーが極端に押し難いため、キー一つでタスクを實行できるのは非常に助かる。さうでなくとも、端に寄せてある修飾キーに手を伸ばさないで濟むのは大きな利點だ。長い事あふwでのファイル操作が染附いてしまつたので、今ではファイラを修飾キー有りで操作するのは我慢ならなくなつてゐる。同時に、この便利さが他の分野でも應用できる事に氣が附いた(Alacritty、rxvt-unicodeのkeyboard-select、Kakouneなど)。microは良いテキストエディタだつたが、修飾キーを押す事に疲れてゐたし、飽きてもゐたので、Kakouneに移行した。
デスクトップ環境のメインメニュー(大抵はSuperキーを押すと出てくる)、壁紙など。
素敵な壁紙は澤山あるわけだし、配置もしたくなるが、私はウィンドウを最大化して作業してゐるため、壁紙を見る機會が無い。又、壁紙が快適かどうかはその時の氣分に左右される。だから不要なのだ。
常にウィンドウを最大化してゐるといふ事は、頻繁にウィンドウを切換へるといふ事でもあり、私はウィンドウの操作自體嫌ひで、重なるといつも苛々してゐた。かういつた傾向からも、ウィンドウマネージャはタイル型か動的かのいづれかに絞り込める(GNU/Linuxに關はる以前は、ウィンドウはスタック型しかないものと思つてゐた)。i3は單純にSuperキーと方向キーでウィンドウを切換へられるし、何よりタブ表示ができる。それでゐて左右上下に竝べる事もできて、設定も簡單と文句の附けやうが無い。
メインメニューは大抵ショートカットを參照するもので、ランチャがあれば全くの不要である。
ステータスバー(タスクバー)は、i3bar程單純・明快で良い。既存のデスクトップ環境のバーは不要な表示物と(私にとつて)不適切な表示しかしてくれない。例へばアイコンをクリックすると音量を調節するバーが表示される仕樣は一見便利だが、カーソルを畫面の端に持つていく必要がある。少なくとも片手はキーボードに置いてゐるのだから、やはりキーボードで音量を調節した方が樂だし效率的ではないか。常に表示してゐて害が無いのは、日時くらゐではないだらうか(とは言ふものの、バッテリーの殘量や天氣など、人によつて氣掛りな事はある)。ずらりとバーを埋め盡すアイコンや曲の再生ボタンなどは、却つて氣が散るし、頻繁に使ふものでもないし、何よりアクセスに一手間が掛る。
壁紙と同樣に、アイコンもターミナルに籠もつてゐると見る機會が無い。又、必須とも思はない。なので依存關係が許すなら、私は削除するつもりだ。試しに綺麗なアイコンを設定してみたが、眼に觸れないので寧ろ損した氣分になつた。2021年7月25日:良いデザインのものを見附けたので採用する事に。遊び。
環境のメタパッケージとしてはGNOME、Plasma、LXQtを試したが、いづれも使はない無駄が多いと感じた。私には向いてゐないのだらう。
PureOSや(特に)Debianの良いところは、パッケージの詳細を調べられる事である(Suites - PureOS Software、Debian -- パッケージ)。システムに關はるパッケージであつても、不要と判れば削除する事ができる。
とかく、使ふ機能だけ導入するといふ事だ。無駄の無いのが、一番美しく、樂しい。
グラフィカルな環境に慣れてゐるとつい目視でファイルを探してしまふが、せつかくコンピュータを利用してゐるのだから、何事も效率的に處理したいものだ。
檢索が容易なソフトウェアを導入し、又積極的に檢索する。Kakouneは檢索の連續である。カーソル(選擇範圍)の移動と考へた方が理解し易い。/でカーソルの移動、?で選擇範圍を伸ばす(擴げる)。rangerで移動する時も/で檢索する。何事も簡單に。
それは壁紙やアイコンを設定しない事であつたり、無しで濟ませる、手元にあるもので濟ませる事(コマンドラインやシェルスクリプト)であつたりする。調べれば幾らでも似たやうなソフトウェアはあるが、大事なのは何を一番に優先するかといふ事(實行しなければならない仕事の見極め)と、いかにしてインストールする候補を減らすか、といふ事である。つまりは樂ができるか。
RofiやPolybarは美麗で、どこまでも滿足の行くものを追求できるが、dmenuやi3barが充分な機能を果してゐるのに、これ以上の追求をする必要があるか、と考へれば、手を出す氣にはなれない。
GUIソフトウェアはたまにしか起動しないけれども、と言つて氣に入らないデザインだと起動が厭になつてしまふ。私の場合はダークテーマ、選擇範圍、ラジオボタンやチェックボックス、ゲージがはつきりと認識できる配色であれば何でも良い。なのでパッケージ化された著名で安定したテーマを使用してゐる。コミュニティ(Gnome-look.orgなど)から探す事もできるが、數が厖大で限りが無く、似たり寄つたりのデザインばかりで賴りないと感じる。期待ができるとすれば、簡素なデザインを求めてゐる時のみである。
綺麗なデスクトップを作るために、使はないアイコンを竝べる必要も、大袈裟過ぎるフォントを使用する必要も無い。派手なものを作つても飽きてくるし、何より頻繁に變更する——環境の構築に時間を割くわけにはいかないのだ。とするなら、結局、何の味氣も無い、簡素な、いつでも同じ顏で迎へてくれるデスクトップを構築するしかない。
CLI/TUI が至高だとは思つてゐないが、GUI と較べて大きな利點がある。
CLI/TUI は、マニュアルを讀む必要がある。結果的に、ユーザがソフトウェアの動作や使ひ方について理解する事は、その應用——利便性に繫がる。CLI の場合は、殆ど無限大の可能性があると言つて良い。ユーザ自身が自分の力で環境に合せて設定をカスタマイズしたり、他のコマンドと組合せたりして、日々の作業を簡單にできるのだ。
GUI の場合はぱつと見の判り易さ、直感的な操作、外觀の美麗さが人氣の指標になる事が多いが、CLI の場合はマニュアル——使ひ方の解り易さと應用の廣さが人氣の指標、初心者のとつつき易さになる。設計者はソフトウェアに對するのと同じくらゐ忠實に關聯文書の精度を求められるし(これに盡力してゐる人には敬服する)、同時にユーザは使ひ方に關して情報交換をする必要がある。應用の可能性を知る事で、CLI の眞價を實感し、ユーザの創造力を促進できるのだ。
2022年3月5日:長年の習慣を變へるのが難しい、指先の自由が利かない、アスキーを始めとした外國語が讀み難い(判り/解り難い)などの理由によつて、グラフィカルで直感的なインターフェースに賴る事は決して不合理な事ではない。各々のユーザにとつて適切な方法を選び取る事。
xautolock
を追加
st
を追加(フォント、キーコンフィグ、配色、スクロールバック、キーでの文字列選擇ができれば充分。urxvt
はそのまま確保)
physlock
→ suckless-tools
(slock)(依存に libsystemd0
があるため)
dunst
→ dzen2
(D-Bus への懸念があるため)
i3status
の利用を止めた。代りに通知を利用。常時表示してゐる必要は無い(日時、音量、IMEの狀態、ワークスペース番號)。ラップトップでは利用を檢討するかも知れないが(バッテリの殘量やネットワークの接續狀態など)
i3lock
→ physlock
(總ての假想端末をロックできる)