I think it's a really good idea to basically think of the Internet as an absolute public place. That way you will act on the Internet as you would in normal public life, and that is what you should be doing.
WWW ページでの個人情報公開について考える)
自分だけは違うと思っているだろうけど、残念ながらあなたを含む99%の人は普通の人だから。今月のネット収入とか書いてる時点で、15年前からココにいる人達と同じだから。
周りを見渡して「何となく楽して稼げそう」と思ってブログやってるだけで、本当は他にもっと好きなことややりたいことあるでしょ。
お金が欲しかったらバイトを探しなさい。
ぶっちゃけ正社員の方が楽でっせ。何すればいいか上司から仕事の指示もらえますし、責任は上司が取りますからね(ってなんのこっちゃ)。
目の前に人がいるのにいないように振る舞うことが普通になってきた。会える時間が限られたリアル友人よりもいつでもネットを介して会える不特定多数を大事にし始めたのは何でだろ。
流行りのミニマリストとか。プロブロガーとか。ひと昔前の不良とおんなじで、人と同じは嫌だと言いながら、リーゼント+学ランと言う定型フォームにはまってる。
(100文字等に)規制されているものは言論ではない。(中略)
真面目な用途で考えれば人気度ではなくて信頼度が重要になってくる。だから本当は「信頼できるユーザーに評価された信頼度」こそ読者が知るべきパラメタだろう。(强調は引用者による)
「遅いインターネット」は、あまりインターネットという村の空気を読まずに、いま私たちが本当に大事だとか、面白いとか思えるものを記事にしています。
(中略) 僕たちの世代だけが、インターネットは何かを演じる空間だと思っている。でも、そんなことはないんだよね。特に日本のインターネットは半匿名の文化だから、逆にそのまやかしにハマりやすいんだと思う。
僕たちの世代だけだよ、「リアルとネット」みたいなバカなこと言ってるの。
インターネットって空気だからさ。「空気を使って呼吸してます」って、わざわざ言わないよね。単に「呼吸してます」って言う。そういうことだと思うんだよね。
プラットフォームにはプラットフォームの色があって、その色に染められてしまう。もっと言うとインターネットにはインターネットの色があって、インターネットの色に染められてしまうんですよ。
本当の気持ちを本当に書こうと思ったら怖くて書けなくなるはずなので、それでも書かねばならぬなにか、強い衝動っていうものがある人とない人が、そこで分かれると思うんですよ。
みんなが、おもしろいことを生み出す人ではなくて、おもしろいことを解説できたり、紹介できたりする、回しのうまい人になろうとしている。でも、それって世の中がどんどんつまらなくなっていくシナリオなんだけど、そのことに気付いていないし、残念なことに、メディアや情報発信に関心がある人ほどそうなってしまっている。
So I see the Small Internet as a return to those original ideals of
open community and trust, tempered by reality in a world where we
have to secure our servers inasmuch as they are tethered, even in
small ways, to the Large Internet that is attacked and surveilled
continuously.
In The Small Internet nobody
is late, nobody is quick, nobody is timely, nobody is lagging behind.
Everything in The Small Internet goes at the very same pace of each of
its participants.
Common Voiceプロジェクトは機械が人の話を理解できるようにする、Mozillaの新たな取り組みです。サイトで聲の錄音と、その音聲チェックができる。發聲が好きな人、音聲認識システムに興味がある人は是非。實は讀上げる文章も募集してゐる。
2022年4月3日:推奬無し
傷つけるような発言を親指一本で衝動的にしても、削除ボタンを押せばなかったことになると思っている無計画さと、なんて遠いんだろう。(中略)簡単に人を傷つけたり、自身の人生に対する不満足を喚き散らすことができるツールがあっても、それでも美しく生きていたい、できるだけ誰も傷つけず、誰のことも憎まず、生きていたいと願うことには、不変の価値があります。私は、美しく生きていたいです。
何をどう考えても馬鹿になる。その通り。しかも考え方や行動が画一化されていくのだ。
表現の規制とか作法とかスタイルシートとかによって、みんな同じ顔にされてしまう。
悦に入るどころか不愉快で不愉快で仕方がない。Twitter。そもそも俺の中では「流行っている」というそれだけでもう駄目なものであることが証されているというか。大流行するっつーことは、①どんな馬鹿でも②ネコでも杓子でも、③世の中にとんでもない悲劇や苦悩があっても見向きもしないし知ろうともしないような酔生夢死な方々も、④あるいはその分野において全くリテラシーの無い所謂「一般の」人々でさえも、熱狂させてしまうくらいに、すなわち娯楽性が高すぎるということ。もう憎んでいるといっていいよ。特に③を想像すると、ね。
観測範囲の広い狭いではなくて、画一的なんだよ。表現が。ウェブサービスを媒介することによって、みんなおんなじように見える。もちろん錯覚なんだろうが、典型的日本人的な嫌なにおいがする。そこを強烈に感じ取る同じような感性をもった人間って、当然のことながらTwitterじゃあ見つからないんだよね。もちろん「はてなんとか」でも見つからないし。
「私たちが作り上げた、スパンが短く、ドーパミンの分泌によって駆り立てられるようなフィードバックのループが、社会を壊しています」
携帯ウェブ、Mixi、Twitter、Facebook、Wiki、会員制サイト、等々。クローズで広く一般に普及したサービスっていっぱいあるんだよな。でもそこにある自分のデータ、みんなどう思ってるんだろ。とてもじゃないが手放しで預けられるようなものじゃないと、私は思っているのだが。
何故なら、世間は、案外何も考えず、フィーリングだけで「そうだ、そうだ!」と頷いている事が多いからです。