「情報の中身」を重視したWWW設計方針)
他サイトへのリンクは一般に言及もしくは参照の一種です。
現在の日本において無断リンク禁止を否定したければ、何を根拠に禁止しているのですか、と聞けば良い。
リンクについての個人的な考え方)
公共の社会ということで言えば、インターネット上も天下の公道であり、素っ裸で歩けば逮捕されるのが筋です。したがって、本当は、たとえば18禁サイトなどは、その存在自体許されないはずのものです。18歳以下の方は退出してくださいと断っていても、実際には子供でも幼児でも入ることができるわけですから。
コンテンツが充實し、サイトの方向性が確定してから、はじめて宣傳を開始する事。
コンテンツさへ充實してゐれば、宣傳は必要最小限で事足ります。
サイト制作者が商賣つ氣を出せば、閲覽者には確實に悟られる。
保険としては独自ドメインで運営して、別のサービスに移ってもURLだけは引き継いでやるくらいかな。
特定のワードを選挙カーみたいに連呼してる記事を見かけて、最初はその人の書き方の癖だとばかり思っていたのだけれど、別のブログでも似たような書き方の記事を見かけて、ああ、多分これは検索エンジン対策で書いてるんだろうな、と思った。
もはやインターネット界はgoogleが唯一神で、彼に従わなければ存在が抹殺されてしまうんだな。
誠實だと思ふサイトだけ利用するのが世のため自分のため
說明のできないものを獎めてゐる自覺はあるか?
把握できてゐないリンクを買ふといふのは、選んでゐない弘吿と同じ卑劣さ
自分が購入していない、あるいは理解できていないモノを他人に紹介するな。
出会い系サイトは個人売春・買春を目的とした利用者が半分以上である。
ですます体の使用について。
文書のデザインなんて、自分が最も見やすいようにするのが一番良いのは当たり前で、ウェブはそれが可能なメディアなんだということを実感できます。
ユーザビリティが大事だと思うならなぜユーザにさっさとデータを渡さずに、看板タイトルやサイトナビゲーションなどに何百ピクセルも費やしてリソースを無駄遣いするんだ。
パンくずを使ふかどうか迷つてゐたが。
class
名は見た目で決めない
h1
=サイト名にするのか。
cite
屬性に加へて)出典・リンクは本文でも明示すべきか?
link
要素のmedia
屬性は、HTML5ではシンプルになつてゐた。
どうにもならないものは諦める事
主語リソースが対象とする受講者/利用者(非リテラル値推奬)
リソースの性質もしくはジャンル(
統制語彙から選択することが推奨される)
責任を全うする意思のない者はウェブページを公開すべきではない。
「論爭相手」或は「ブロガー」だけに向けて書かれたものであるわけがないのであり、「不特定多数の人が讀む」爲に書かれてゐる。
「ウェブに公開する」という態度ではなく、「ウェブで遊ぶ」という態度を持っていて、URIを与え公開したリソースに対しての責任感が希薄か、そもそも「URIを与え公開したリソース」などという概念が頭にない。
Webで文書を公開することの重さをよく考えたなら、削除というのはあまりに「軽」過ぎる。
自分に何の損もなければ見返りを求めずに済むのだ。
人に恨みを持つと人は馬鹿に化ける。
「皆が使えてもいいから、パブリックフォルダに入れた。」
「publish」する手段として、出版というのは完全に時代錯誤。もちろん紙として残しておく意味は大いにあるが、ウェブ上に公開しない手はない。
ウェブにおいて内容の質がジャッジされることはない。批判され得るだけだ。言い方を換えると、批判に耐えられないのなら、遅かれ早かれウェブパブリッシングの場から退場することになるのだが、それは審判された結果ではない。そこを「審判された」と勘違いして消えてしまった方々、もとい文書たちをもう酷いほど見てきて強くそう思う。
「どこかで誰かが目に見えない形で評価してくれる」のもある意味、対価だと思う。
きちんとした根據を擧げて、そのメールが私信ではなく、それを公開する事によつて公共の利益となる、と云ふ事を説明出來れば、そのメールを公開しても大丈夫、と云ふ事になるのであります。單なる私怨のみに基いて、批判のメールを公開してしまつてはいけません。
あまりの自覺の無さ。webは他人と共存する場所。
だって、彼らは全世界に向けてブログとかSNSで発信しているわけでしょ?
それなら批判や否定される覚悟くらいあるはずじゃないですか。
どんな糞歴史だって、歴史は大事なんだよ。
会社に知れてまずいことは書くなよ
自分の名前を公開して欲しくないならそう書けば良いし、まずいものは公開しない。こちらを信用してないあんたをどうやって信用しろというのか。
附錄:URI
作成日以外は、どんな情報を名前に加えても、なんらかのトラブルの原因になります。
解決法は簡単で、ただURIを変えなければよいのです。
サイトの管理者が「責任を取つてサイトを閉鎖する」と、閲覧者はお氣に入りの文書を讀めなくなる